中山寺の歴史と現在

スポット

阪急宝塚線の沿線には多くの社寺があります。宝塚市内にも、中山観音駅、売布神社駅、清荒神駅と、参詣客の利用をもくろんで作られた駅が並びます。

中でも中山観音駅付近では、車窓から中山寺の建物を眺めることができるので、参詣したことがなくても興味を持っている人も多いのではないでしょうか。この記事では安産祈願のお寺として有名で、駅から降りてすぐに参拝できる中山寺を紹介します。

中山観音駅からの参拝路

最寄駅である阪急宝塚線の中山観音駅から、中山寺を訪ねてみましょう。JRにも中山寺駅がありますが少し遠いので、阪急の利用をお勧めします。

中山観音駅を出るとちょっとした参道があり、お土産屋が参詣気分を盛り上げてくれます。参道の突き当たると左側に山門が現われます。この山門は、1646年に徳川家光によって再建された兵庫県指定文化財で、「望海楼」とも呼ばれます。かつては山裾に建つこの山門の上から大阪湾を望むことができたそうです。

山門の仁王像の横には像と同じくらいの高さの巨大なわらじが添えられています。周りにはたくさんのわらじが奉納されていました。

山門をくぐるとゆるやかな登り坂の参道が続いていきます。広い境内には多くの塔頭寺院があります。参道には築地塀と塔頭に入る門が並んでいて、城下町の武家屋敷通りのような雰囲気です。

参道の先は階段になりますが、その横の石垣のような外観の建物の中にエレベーターとエスカレーターの乗り口があります。

歴史ある安産祈願のお寺

ここで中山寺の歴史をふり返ってみましょう。

聖徳太子による創建

中山寺は聖徳太子によって創建されたという由緒のあるお寺です。平安時代に花山法王によって観音信仰の巡礼路である西国三十三所の第二十四番札所と定められました。平安時代末より安産祈願のお寺としてとても有名になりました。

有岡城の戦いで焼失

1578年に発生した有岡城の戦いで中山寺は被害を受けています。有岡城は現在のJR伊丹駅付近にあった城です。戦国時代末に、伊丹城と呼ばれていたこの城を攻め落とした荒木村重が大改修し、名を有岡城と改めました。その荒木村重が織田信長に対して謀反を起こしたのが、有岡城の戦いです。1578年から1年以上続いたこの戦いで中山寺は全山が焼失してしまいました。

豊臣家や明治天皇との関わり

戦火による大きな被害を受けたものの、安産祈願のお寺としての信頼の篤い中山寺は豊臣家の力で復興します。豊臣秀吉は当寺に祈願して息子の秀頼を授かり、その秀頼が焼失していた伽藍を再建しました。さらに明治天皇の生母が安産祈願をしたことから唯一の明治天皇勅願所となり、中山寺の名声はさらに高まりました。

中山寺の見どころ

広大な敷地に多くの建物が並ぶ中山寺ですが、本堂をはじめとする古くからの建物に加えて、21世紀に入ってからランドマーク的な建物も次々と再建されています。

大きな本堂には鮮やかな装飾がされています。本堂の奥に見えるのが、電車からも目に留まる鮮やかな朱色の大願堂(多宝塔)です。2007年に再建されました。

もうひとつのランドマーク、五重塔は2017年に再建されています。こちらは鮮やかな青色が使われているのが印象的です。

大願堂の近くに鎮守社があります。境内地を守る鎮守神と中山寺山内の七福神の恵美須神が祀られています。山内七福神はこの他に塔頭寺院の中などに祀られています。

まとめ

中山寺は長い歴史の中で戦火にや震災といった災難を乗り越え、安産祈願のお寺として絶大な支持を得てきました。近年ではランドマーク的な建物が復活したり、バリアフリー化を進めるなど、施設の充実に積極的で活気のあるお寺です。駅から近くて、さまざまな建物を見て歩くのも楽しい中山寺を訪ねてみてはいかがでしょうか。

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